ほぼ毎年 参加している シド・マリークラークさんの 札幌での アートワークショップ。
今年は、6月15日(土)・16日(日)、初の モエレ沼公園 💓での開催だった。
【SACRED WORLD - Landscapes and Inner Visions’】
【聖なる世界- 風景と内なるヴィジョン】

一日いっぱい、✖️ 2日間。
昼食の時間以外、ひたすら 自分の内側に耳を澄ます。
画材と戯れることによって 「それ」に 触れていく。「それ」を 捉えていく。
ふいに 予想もしない形で 「それ」が 現れる。。。!
なんて 贅沢で しあわせな時間、体験なんだろう!😆
そのプロセスは、今ここでのアートなのだけど、
「あぁ、これは 自分のパターンだな」「思いグセだな」と 思い知らされたり、
手放しが起こったり、
今までと違う チャレンジをしてみたり、
気づきが起こって、泣いたりした。
私の表現全般のことだったし、私のLIFE そのものだった。

↑ 絵皿のパレット
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1日目の最初は、シドからのテーマにチューニングし、手のままに描いた。
描き上がったけど ピンと来ないので、シドに 以下の2つのことを伝えて アドバイスを求めた。
●「この絵は、自分のムーブメントのままに 描いた。それは 私にとっては ナチュラルなこと。一方で私は、『積み重ねていく』とか『構築していく』のは苦手だ。」
●「この絵の『ここが好きだな』という〝部分〟はいくつかあるけど、〝全体として〟 自分にフィットしていない」と。
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話はちょっと飛ぶが、私が『構築する』という言葉を使ったのは、わけがある。
先日 占星術のザビエさんのセッションで、「あなたは牡牛座なので 『構築していく人』なのです」と言われたのだ。
意外だった。 自分は、即興的で 刹那的な質だと思っていたから。
(ただ、楽器の絵を描くことに関しては、その気配 は 感じていた)
アートに限らず、生活、人生において、ザビエさんが言った『構築する』『築いていく』『建築家』『設計士』(← 職業的な意味ではなく、比喩です。)とは、どういうことだろう?
『構築する』質を 私は 今 使えてない。その可能性を アートで体感してみたい!
そう閃いたのだ。
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シドさんは、「あなたがこのやり方を気に入ればの話だけど」と前置きして、
「小さなパーツに 切り分けてみる」という提案をしてくれた。
面白そう! !!

フィットしなかった一枚の大きな絵を、
「あ、ここ好き!」「ここもいい!」と 切り分けていった。

そうしたら……

使わないところは、ほとんど残らなかった。
「全部 好きなんじゃん………」
泣けた。( ; ; )
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完成した作品 ↓

シドは、
「自然な動きで描いた絵 と 図形・構成。
まるで、自然と 人工物が調和している モエレ沼公園 のようだね」というようなことを伝えてくれた。
私は、この作品を通して、『構築する』感覚の一端に触れた。
小さな窓で、自分の「好きだな」「いいな」を、見つけていく。
拾っていく。
そのパーツたちがすでに豊かだと自覚したのなら、
それを さらに 自分の感性が喜ぶ形に 構成できるのだ。
時に 変化させたりしながら。。。
絵を切り分けたパーツからは、この作品 ↑ の他に もう一枚、
違う構成で、仕上げるつもりだ。
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この作品 ↑ は、その日の朝に撮った モエレ沼公園とも 響きあっていた 💫

2日目の気づきは、次回に続きます 😊

↑ カップ に 絵の具が、ナチュラルドローイング♫
シドさんのアートワークについては、主催のunicaのHPをご覧ください→こちら
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